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『性の用語集』

性の用語集 現代のさまざまな性の問題について、約50のキーワードをめぐっての小論文集であり、性についての言葉の語源や意味・使われ方の時代的な変化の様子を解説する「辞典」でもあります。
 たとえば「女装(じょそう)」という言葉については、「それは当然男性の行為で特殊なセクシャリティによるもの」といった今の使い方は、1970年代に広まった新しい用法であるとか、「ゲイ」は、終戦後の日本で生まれた和製英語で、のちにアメリカへ渡って逆輸入されたものである可能性があるというお話。また「ニューハーフ」については、その言葉をめぐる何人かの人たちのドラマも紹介され、そういった時代を本を読みながらわたしたちも体験できるかのような、面白い本でした。
 以上の女装(じょそう)、ゲイ、ニューハーフの項目については、三橋順子さんの執筆によるものです。膨大な資料にもとづいた具体的で明快な語り口が、小気味良く感じられました。』(井上章一&関西性欲研究会編、講談社現代新書)

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2004年12月のBBSより
今日21日、本屋さんへ寄ってみましたが見あたりませんでした、というより装幀が変ったことが頭になくて見落としたかも。以前の杉浦康平のブックデザインは好きだったのですけど……。

本を入手しました。「性の用語集」の三橋順子さん執筆の部分は、小論文形式の百科事典のような書き方で、読み手をひきつけるものがあると思います。
女装(じょそう)」そのほかの用語について、その使われ方の歴史というか、新しい言葉や新しい使われ方が登場したころの時代背景や、それに関わった人たちのエピソードなどが、たくさんの資料を駆使して、わかりやすく述べられています。(BBSより)


読もうかな?

顔石井達朗『異装のセクシュアリティ』という本は、まあまあ読まれているのでしょうが、あたしは読んでませんでした。今ぱらぱらめくってみるとアジアやアフリカの民俗事例なども広く紹介されているようです。まえがきを少し読んでみると……、……なぜあたしが読まなかったかがわかりました。性欲の話から始まっているのです。タイトルも「異装の文化誌」ではなく『異装のセクシュアリティ』なのでした。
読みづらい部分は飛ばして、「異装の文化誌」として読めないかしらと、ため息をつきました。夜も遅いので今日は休みます。

画像は「鳩子の別室」の「プロフィール」で使ってた画像。どこかのおまけのソフトで1枚イラストに作ったもの。


日本史女装(じょそう)エピソード

スクラップブックの「日本史女装(じょそう)エピソード」は
それほど楽しくなかったなんて書きましたが、ネット検索による収集データが大半を占めていますから、玉石混淆で、いいものでも表面的にさらっと触れるだけの記事が多いのです。最近「世界の両性具有(りょうせいぐゆう)神話」の収集を始めてみましたが、やはり似たようなものです。
本日17万ヒットでした


「宦官」について

バナー「宦官(かんがん)」について辞書を調べてみました。

大辞泉(小学館+Yahoo)では
「東洋諸国で宮廷や貴族の後宮に仕えた、去勢された男子。中国・オスマン帝国・ムガール帝国などに多かった。王や後宮に近接しているため勢力を得やすく、政治に種々の影響を及ぼした。宦者(かんじや)。」

大辞林(三省堂+Yahoo)では
「去勢された男子で貴族や宮廷に仕えた者。古代オリエント・ギリシャ・ローマ・イスラム世界にみられ、中国では春秋戦国時代に現れてしばしば権力を握り、後漢・唐・明の滅亡の一因をなした。宦者。[*]寺(こんじ)。寺人。閹官(えんかん)。刑余。」

 大辞林では閹官などの類語も羅列されますが、「刑余」について調べてみました。
大辞泉……「1 以前に刑罰を受けたこと。また、その人。2 宦官(かんがん)。」
大辞林……「前に刑罰を受けたことのあること。また、その人。前科者。」
 大辞泉のほうが詳しいです。でもなぜ宦官のことを刑余ともいうのでしょう。

そこで広辞苑(岩波書店CD-ROM)では、
「【宦官】 東洋諸国で後宮に奉仕した去勢男子の小吏。元来は宮刑に処せられた者を採用したが後には志望者をも任用した。卑賤な地位であるが、常に君主・後宮に近接し団結力に富むので、勢力を宮廷に扶植し政権を左右するようになり、中国では後漢・唐・明の時その弊害が著しかった。宦者。寺人。閹官。閹人。刑余。・[*]寺(こんじ)。」
 これでわかりました。刑余とは宮刑を受けた人のことみたいですね。宮刑とは去勢の刑罰です。やはり広辞苑のほうが頼りになるかも? 「宦官」は中国語だから「東洋諸国」となるのでしょうが、ギリシャ語の翻訳語として使われる場合もあるでしょう。また「卑賎な地位」とは後世的な評価でのコメントのようですね。
[*] =門がまえに昏

 西アジア方面では、神に仕える女性たちの処女性を守るために、神に仕える男子を去勢したという説明もあります。神が両性具有(りょうせいぐゆう)であるためにそれに仕える神官も去勢して神に近づいた、王に仕える者も神に仕える者と同じにした、ともいいます。
 女子の初潮を神聖視したため、男子も同じ年齢のころ血を流して聖母に近づこうとしたとも。
鳩子の忘れな草紙・宦官とは


サポテコ族のムシェ

白黒「ようこのとりかへばや物語」で「ムシェ」の解説を読みました。
 メキシコ南部のフチタンという町にサポテコ族という少数民族があり、彼らの社会では、とても理想的に見える性の選択がなされ、ムシェ(女性として暮らす男性)、マリマチャ(男性として暮らす女性)と呼ばれる人たちがいるそうです。
 サポテコ族の社会では、女性の服装をして女性の職業につけば、自然に女性と認められるそうです。男性とされる場合はその逆ですが、職業で性が決まるのですから、性による職業の分業がはっきり区別された社会ということになります。
 母系制社会で女性の強い社会らしく、女性の職種も多岐にわたるのではないかと思います。「語り部」のような職業は女性的だと思うのですがどうでしょう。
 もともとアメリカ大陸の先住民たちはみな、性に寛容な社会をいとなんでいたそうで、同性愛などを嫌う近代のヨーロッパ人は、それを悪魔の社会のように見て侵略の口実にしたようです。今またグローバル経済によって様々の伝統的なものが危機にひんしているともいいます。
 アメリカ大陸の先住民は、黄色人種で、言語も日本語と同じ膠着語に分類されるもので、環太平洋の古代文化には共通のものがあったのだという話もどこかで聞いたことがあります。
http://www.palette532.com/~inui/folklore/w02.html
http://www.fujitv.co.jp/jp/pub_info/pub/00-29.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4894340550.html


古代史いろいろ

鳩子 平安時代に、刑罰を受ける者も執行する者も、どちらも女装(じょそう)のようないでたちだったらしいのですが、執行する側はともかく、罪人のほうは、その女装(じょそう)は古代の中国にあった去勢の刑と関係するのかと一瞬思ったのですが、よくわかりませんし、たぶん関係ないでしょう。日本では刑罰としての去勢というのはなかったようです。
 「バルバロイ」というサイトの説明では、古代の西アジアかエジプト方面では、戦いに勝った王は、負けた王を去勢してその陽物を食したとのことです。それを通して旧王の政治・軍事・その他の支配力を継承するのが目的らしいです。力を弱めるという意味での女性化=被支配といった父性原理的な考え方はまだなかった時代の話です。力を削ぐといったマイナス要因で見るのでなく、何かの新しい再生のしるしという意識です。
 日本で刑を執行する担当官は美しい女装(じょそう)のほかに容姿も美青年でなければならなかったらしいです。松田修によれば、罪人といえど同じ人間であり、刑の執行は仲間を売り渡すような拭いきれない犯罪以上の後ろめたさの伴うものだからで、そのための贖ないの行為としての女装(じょそう)なのだそうですが、やっぱり罪人から何かを継承するからなんでしょうか? 熊襲タケルが罪人なら、征伐するヤマトヲグナも女装(じょそう)の美少年でなければならないわけで、タケルという名も継承するわけです。ともかく古代では、私利私欲による罪というのはありえず、罪人はすべて政治犯、あるいは単に敗れた者のことだったでしょうから、罰するほうは大変です。贖ないの女装(じょそう)というのは、神としての罪人の女装(じょそう)から何かを継承することによって、かろうじて贖ないが成立できたのかも。ところで日本の古代史で処刑された皇子たちが最後に女装(じょそう)をしていたことは間違いないのでしょう。


人魚の涙

人魚の? 
嬉しいときにも悲しいときにも出る涙。
(タマネギをきざむときやあくびをしたときにも出ますが)
土砂崩れの中から2歳の子が救出されたニュースにも、ちょっとうるうるしてきます。ドラマの中のみなし児がやっと食べ物にありつけて、がつがつ食べるシーンも見てるだけで涙が出ます。自分の子どものころのことを懐かしく回想するだけでも涙が出ます。なぜなんでしょう。
子どものころは痛いときや怖いときにも泣きました。そういうのを「救難信号」と見て、泣くのは弱い者であって、男は泣いてはならないという考えは、お武家さんたちが作ったのかもしれませんね。
お友だちと別れるときも悲しいけど、ずっと逢ってなかった人に逢えたときも泣くでしょう。インドでは「女の涙の歓迎挨拶」というのがあるそうで、ニュージーランドのマオリ族では、そういうとき合図があるとぴたっと泣き止むとか。日本でも泣き女(なきめ)といって葬式のときに専門に泣く役割の人がいました。
人類進化のアクア説によると、たくさん泣く動物は人間と水に住む動物だけだそうで、人間が水に住んでた名残りだとか。
少女マンガの少女のけなげでいじらしい姿にも泣けます。人は怒るときも涙が出るらしく、巨人の星の星一徹がそうでした。鳩子はそういう経験はないですけど、たぶん怒る前に悲しくなって泣いてしまってるのでしょう。
……いろんな涙がありますけど、泣きたいときはがまんせずに泣いていいんじゃないでしょうか(お化粧くずれには要注意ですけど ^^;)。

 人魚の涙
人魚の涙がこぼれおちて真珠になるお話はアンデルセンでしたっけ。ヨーロッパの広い範囲での伝説なので、日本にも伝わって今のお葬式でも真珠のネックレスが許されるのでしょう。
そのほか百科事典をみると……

--ナイル川の氾濫の水は女神イシスの涙である。
--エジプトのラー神が流した涙から人間の男女が造られた。
--兄のカウノスを慕って追いかけたビュブリスは、力尽きて倒れ、その流す涙が泉となった。(オウィディウス『転身物語』)
--罰によって人間の男性との恋しか許されなかった女神エオス、人間の寿命は短く、愛する息子メムノンに先立たれ、彼女の流す涙は朝露となって地上のすべてをぬらす。

涙をがまんしなくていいのは挫折の涙だから。なんでもがまんしなくてよいということではありませんよね。
11/1より shiromuku sn_diary を使用。


『土佐日記』

 「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」
 平安時代に書かれた紀貫之の『土佐日記』の冒頭の部分です。男が書くという日記を、女が書いてもいいのではないか、でも女が書くからには女の文字や言葉で書きたい、という意味なのですが、それを書いた人は紀貫之という男性なのです。
 時代は唐風文化を真似るより日本独自の文化を作り出そうというときでした。男が書く文字は漢文と決まっていた時代でしたが、女が使う文字として作られたひらがなが普及していったころでもありました。そのひらがなで書くということは、言葉だけでなく女そのものを装おうことになり、別人格の女性の視点から、自分自身を「ある人」と呼び、そうやって何か新しい世界が見えたことでしょう。


クリシュナ

クリシュナ インドの美青年の神・クリシュナが最も愛した女性は、ラーダーという羊飼の娘といわれます。一説によると、ラーダーにはアヤナゴーシャという夫があったとか。そこでクリシュナは女神の姿に身を変えて逢いに行ったそうです。
 右の絵は1820年頃描かれたもので、ヤムナー河畔を散歩する二人ですが、「衣服を取り換えている」という説明があります。(レイチェル・ストーム『世界の神話百科・東洋編』原書房より)


変成女子二件

江戸の実相坊という学僧が、信州のある家に何日か宿をとったとき、思いがけない熱病にかかり、ようやく回復して行水をしてみたら「男根落ちて女根となる」。それ以来、学問のことは忘れてただの凡人となり、酒屋の妻となったという。
 上州藤岡から秩父へ経帷子(きょうかたびら)を行商する僧が、山家のとある酒屋を訪れてみると、以前一緒に旅した僧によく似た女房がいた。顔を隠そうとする女房に、僧が「私の知る僧の姉妹であろうか」と尋ねると、涙を流して奥へ行ってしまった。次に酒屋に寄って再び尋ねたとき、女房は、姉妹ではなく本人であり、病気にかかったときに男のものが落ちて、かくなる次第という。寛永年間の話。
 『因果物語』下。( 10/4 と同じ本から)


重心はお(しり)という話

腰を ある本に狂言師・野村萬斎インタビュー(『週間朝日』1999年3月19日号)が引用されていました。最近Diaryに書いたいくつかのことを補足してくれるような話なので紹介します。

 野村 このあいだ、朝日新聞に古武道の記事が載ってましたけど、西洋のスポーツは基本的にねじりの構造で、右足が前に出ると左手が前に出る。古武道やわれわれは、(空手のようにグッと腰を落とし、右手と右足を同時に前に出して)こう、同じ方向に動かすわけですね。
 野付 重心のありどころが決まってるから、ふだん立つと、出っ尻ふうというか、(お(しり)を突き出して)こう、お(しり)を非常に強調した立ち方になってしまうんですね。能楽師、能狂言に携わる人の立ち方は共通していて、なんとなくトリっぽい。

 「重心のありどころ」というのが小笠原流でいう「腰が本なり」ということなのでしょう。狂言師の場合は滑稽さを強調するためにオーバーになってはいるのですが、こういうお(しり)を強調したように見える立ち方や動作は、江戸時代までは男女共通の普通のことだったのでしょう。
 昔の絵巻を見ると、平民はみな狂言師のような立ち方をしています。上体を前に傾けて立っていますが今の男性のように猫背ではありません。そして身分の高そうな人は上体を比較的起こして立っています。普段のお(しり)の動作が身分によって違うのかもしれません。
 現代人は言葉を補うものとして身振り手振りをおもに使いますが、昔はお(しり)の振り方ひとつでいろんなことを表現していたような気がします。
 本日140,000Hitでした。


『和漢奇事変生男子之説』

 幕末のころの本『和漢奇事変生男子之説』というのがあります。"日本初の「両性具有(りょうせいぐゆう)文献集」"という副題で、久米晶文さんという人が作ったものが次のところからpdfファイルをダウンロードできるようになっているのを見つけました。
 変生男子とはからだが女性から男性になった人のことで、その逆の変生女子の話もあります。南方熊楠の「鳥を食うて王になった話」と共通する話も多いです。
 役所へ届け出て名前と性別を変える話は、今の役所ではそんなに簡単に行かないでしょう(※)。月の半分は男性で、半分は女性だった人の話もありました。書いた人は「人間が人間に変るだけ」なので奇妙がることもないと述べています。
※ 11日に北海道苫小牧市の家庭裁判所で、医師の診断書のみで戸籍の男性名から女性名への変更が認められたニュースがありました。


日本の両性具有(りょうせいぐゆう)

調べて日本の神話のアマテラスオオミカミは男装(だんそう)する女神で、スサノオノミコトは女装(じょそう)する男神という話を9/29に書きましたが、アマテラスオオミカミは男性だとか両性具有(りょうせいぐゆう)だとかいう見方があったそうです。
「明治以前にはアマテラスはさまざまな姿で描かれていた。たとえば『源平盛衰記』では衣冠束帯に身をかためた貴人の男性として出てくるし、室町時代の三十番神図には烏帽子をかぶった狩衣姿で笏をもっている。中世の『日本書紀』注釈書である「中世日本紀」でもたいていは男性神として描かれる。……『日諱貴本紀』では両性具有(りょうせいぐゆう)にもなっている。」(松岡正剛 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0668.html) ちょっと気になったのでメモ。


「男が女に変わった話」

欧州の古典の話。ツレシアスという男が、蛇の交わるのを見て、そのメスを殺したら女になった。7年後にまた蛇の交わるのを見て、今度はオスを殺したら男に戻った。
 中国の蜀の時代、都に仕えていた男が美しい女になり、蜀王は見初めて妃にしたが、妃は環境になじめず夭逝したので、王は哀れんで高さ七丈の塚を造って葬った。(『蜀志』)
 インド。パルヴァチの森に入れば男は女になる。
 インドのソランキ王の子は、みな生まれてまもなく死んでしまったが、一人の王女を男子として育てたら健康に育った。成人してある王女と婚約をとりかわしたが、王は素性がばれないか心配になってしまった。王が狩りに出たとき、連れていったメス犬が森の池で水浴びをして、水から出たときはオス犬になっていた。そこでその池で王女を水浴びさせると立派な王子になり、めでたく結婚式を迎えることができた。(『グジャラット民俗誌』)
 仏典。阿那津尊は、美貌の女性のように見えた。悪漢が彼を犯そうとしたとき、男子と知って、悪漢は女に化り変わってしまった。男は恥じ入って深い山に入ったきり戻らなくなり、それを嘆く妻を見て哀れんだ阿那津は、その者を探し出して悔過自責させたら、男に戻った。(『旧羅譬喩経』)
……南方熊楠『鳥を喰うて王になった話』より


中世の僧の世界

鐘撞堂 室町戦国時代には日本中を旅して歩いた修行僧のような人が多かったらしいですが、なかには色白の美貌の若い僧もいて、宿をとった先で急にからだが異常をきたし、特に下半身が熱を帯びたりとかして……、一晩のうちに女性に成り変わってしまった、という話がいくつかあります。そして僧をやめて女性としてその土地で結婚して普通に暮らすようになったということです。
 女性の半陰陽だったのかもしれません。けれど一般には性同一性が確立されない人たちが生きてゆくための「受け皿」としても、僧侶の世界があったように思えます。男だけの社会だから男色が発達したというのではなくて、そういう人たちを救済する組織としても機能していたのでしょう。女性に成り変わってしまった場合は、俗の生活に戻りますが、そうでない人たちは一生涯、僧で暮らすのでしょう。そんな生活に憧れることもあります。


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