[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

許されるウソ?

ひまわり1月に今年のテーマは「涙」とも書きましたが、素敵な「ウソ」についてさまざまな面から考えてみたいとも思っています。
忘れな草紙に書いた、落語の「長屋の花見」とか、「金庫破りのジミー」の話みたいなウソのことです。
そのほか、ある若い女の子が恋人にしてあげようとしたことが、うまくいかなくて泣き出してしまったようなお話を聞きましたが、ウソ泣きかもしれませんけど、恋人はそんな彼女に心を打たれてしまったとか、悪い話でもありません。

ブログを書いていて、つい特定の人のページの批判めいたことを書いてしまったりしたとき、人によっては書いた本人があとで鬱状態になってしまうことがあります。そういうケースでは、対象を新聞で読んだとか雑誌で読んだとか、すりかえてしまうと楽だと思いますね。こういうのも「許されるウソ」だと思います。

それから、書くのに恥ずかしいようなことは、架空の友人や知人のことにすれば、書けてしまうことがありますね。最初に書いた「ある若い女の子」とは、もしかすると鳩子の若いころのことかもしれませんが、なんともいえません。


消えた半ズボン

ホットパンツふと半ズボンの男の子がいなくなったのはいつからなんだろうと思って、Wikipediaの半ズボンの項目を見たら、詳しく書いてありました。

「1960年代から90年代前半までの関東以南の小学生以下の男の子」ということですから、広く普及したのはそんなに古くからでもないようです。60年代のテレビの少年ドラマや皇太子様も普及に一役買ったようなお話。

なくなった理由は、90年代の「海外トレンドへの追随」とありますが、国際グローバル化がこういう面まで入り込んだわけなのですね。この「グローバル」とは要するにアメリカのことといっていいでしょう。明治のころ最初に輸入されたときは、古いヨーロッパから来たものらしいです。

ハイソックスのことも書かれてありましたが、男女兼用のアツギのスクールタイツもありましたね。アツギとはメーカーの名前です。冬でも半ズボンだったのは、70年ころまでは、おもに都市部の男の子たちでした。


マイ・デジカメ・ヒストリーその2

オリンパス5/24に初期のデジカメのことを書きましたが、今日はそのつづきで、マイ・デジカメ・ヒストリーその2です。
1999年ころから、130万画素(1280×960)のデジカメが普及し始めました。このくらいになってくると、画像ソフトで簡単な明るさや色の補正をするだけで、まあまあの画像になりました。フィルムの時代の終りも間近です。

オリンパスの130万画素のカメラを買ったのですが、比較的小型でスライド式のレンズカバーもついていて便利でした。2003年まで使ってました。
このカメラの欠点は、レンズがカメラの端に付いてることでした。単三電池4本が右端に収まって、そこに重心があるので、右手で持てば片手で撮影できて便利なのですが、レンズは左端で、ストロボが中ほどにあるので、カメラを縦に構えると、レンズが上でストロボが右下になります。
上の画像をよく見るとストロボの影が人物などの左上に出ています。この写真は高いアングルから撮ったので、あごも細めでまあまあなのですが、普通のアングルになるとストロボが下から当りますので、あごがたるんだ写真ばかりになってしまいました。


クククの鳩子

歩道で昨日の新聞で、手塚るみ子さん、赤塚りえ子さん、水木悦子さんの三人の女性の座談会を見ました(朝日新聞)。
みなさんご存じの苗字ですよね、有名な漫画家の娘さんたちです。
子どものころはお父さんは忙しくてほとんど会話はなかったけれど、成人して初めて父の偉大さに感心したといったお話でした。

水木さんは「ゲゲゲの娘」、赤塚さんは「レレレの娘」、手塚さんは「ラララの娘」と紹介されてました。なるほど面白いですね。最近「ゲゲゲの女房」という水木夫人の本もベストセラーになってるみたいです。

鳩子もそんな調子の呼び名を考えてみたのですが、やっぱり
「クククの鳩子」でしょうか ^.^;;
自分の笑い声は聞いたことはありませんけど。
皆さんも考えてみてはいかがですか?

クククといえば70年代アイドルの桜田淳子さん。普通でない道へ進まれたようなニュースをずいぶん前に聞いたきりですけど、だからといってアイドル時代の歌が色あせることはないとは思うのですが。


幸福なトランス

蓮の花子どものころテレビの再放送か何かで見た「少年探偵団」(江戸川乱歩原作)というドラマで、小林少年が少女に"変身"してしまうシーンがあったのです。あとから知った知識によると「屋根裏の散歩者」というシリーズらしいです。
どのようにして少女になったかというと、カメラが切り替わって、別の女優さんが写るというものでした。小林少年は少年というより立派な青年の人が演じていて、あの俳優さんはハーフの人らしいですね(これもあとで人から聞きました)。
で、そのあとに追跡シーンがあったのですが、小林少年は男優に戻って、黒いタイツに体操着のようなシャツも黒、からだのラインがそのまま出る黒ずくめのいでたちでした。あれはなりふりかまわず追っかけて行くとき、「半女装」みたいな状態になってしまったことを、ああいうかたちで表現したのかもしれませんね。

最近のトランスの「当事者」が出てくるようなドラマは、普遍性のようなものが表現できているとは思えないので、あまり好きではありませんね。泣きが入ったりうらみつらみみたいな、質の良くない演歌と通じるものがあるように見えてきます。あえて普遍性のようなものを探せば「不幸な社会的弱者」がいるということだけで、それ以上のことは製作者自からが放棄しているのでしょう。お茶の間向けのテレビだからという言い訳もあるのかもしれませんが、ここはひとつ発想を変えて、
トランスという存在自体が幸福である、という発想が必要になってくるのではないでしょうか。


「ピアノ」のお話

壁小学校二年生になってまもなくのころ、学校の音楽の時間に、先生が「家にピアノのある人!」と言ったので、何人かの女の子が手を上げたのでした。
私も手を上げると、先生はジロっと私のほうを見て、「卓上ピアノではありませんよ、本当のピアノですよ」と言いました。私はタクジョウピアノの意味がわからず、家にピアノがあると思っていました。こういう問題は家庭の経済状態と関わってくるためなのかどうか、先生はそれ以上は言いませんでした。

卓上ピアノとは、一種の玩具のピアノで、2オクターブほどの小さな鍵盤を押すと、それなりの音はするものでした。あとから思えば家にあったのはまさしくこの卓上ピアノです。姉と二人でしょっちゅう弾いて遊んでいたのでした。家ではそれをピアノと呼んでいました。
私はウソをついていたわけではないのですが、にせもの呼ばわりされたのでは、ピアノだって可哀想というものです。なにも好き好んでまがいものに生まれてきたわけではないでしょうに。

人に聞いた話ですが、ある男の子の家にはウルトラマンがいるそうです。人形や玩具ではなく、本物のウルトラマンだと、真面目な顔で言うので、友だちみんなで見に行ってみようということになったのだそうです。そのあとの話は聞きませんでした。


女装探偵・児島由加

陽射しの中の紫陽花 アパートの二階の窓の白いレースのカーテンが、朝焼けにほのめいて、淡いオレンジ色に染まり、ゆらゆらやさしく揺れている……。そんな朝に、窓の下の樅の老木は、風に緑の小枝をくねらせ、ときどきぱたぱたと窓をノックしている。
 やがて軽やかなバロック音楽が、アパートの部屋に流れ出す。部屋の住人が目覚ましがわりに時刻をセットしておいたFM放送の番組の始まりだ。ベッドの白い毛布が、くねくね動き始める。住人のお目覚めである。
 住人の名は児島由加。私立探偵である。探偵とはいっても、毎朝この時間に探偵事務所に通って、サラリーをいただいている身分なのではあるが……。

……というのが、20年近く前に書き始めた探偵小説の書き出しなのです。続きは長くは書けずに、すぐにあきらめたものです。
「FM放送」というのが時代を感じさせますね。あのころはまだFM雑誌というのがあって、2週間の番組表が載ってましたよね。


ヒップパッド

「ヒップパッド 作り方」と検索すると、鳩子のページのどこかが出るらしいですが、作り方を書いたページがあるわけではないのです。

市販品では、純女性用?のヒップアップのためのものがありますね。昆虫の羽根みたいな形で、スガルのごときウエストから後ろに下げるようにして着けるタイプです。
他に、パッドつきのガードルというのがあって、ヒップアップの部分の他に、腰骨の真横に手のひらサイズくらいの楕円形のパッドが左右に付いているものです。でもあれはちょっと綺麗なヒップラインは期待できないでしょうね。何かコブみたいですし。
そんなわけなので、検索してみた人がいたのかもしれません。

ヒップアップ用は作るのに難しくはありません。腰骨の上のからだの動きの少ない部分に着けるわけですから。問題はトランスさん用のものです。足の付け根に近いところに着けるパッドですので、からだの動きとフィットしなければなりません。なので難しいわけです。

一つのアイデアとしては、毛糸のパンツの"重ね着"のような方法です。ロングタイプからショーツのような短いものまで、ぜんぶサイズ違いのものがそろえば、重ねたときの段差が出にくくなります。
おなかや内股の部分は厚くしなくても良いというなら、必要な部分だけセーター生地を切り取って、ソフトガードルの裏に重ねて縫い付けるのはどうでしょう。切り口は毛糸をほぐすようにすれば、重ねたときの段差はますます目立たなるでしょう。
……と、ここまで書きましたが、実際に作ってみるべきかどうか……?


写真の管理がたいへん

庭石最近、自分の写真を管理するのがたいへんになって来ました。数が多いというのもあるのですが、なんとかならないものかしらと思いつつ……、
たいへんになった理由を考えてみます。

1、デジカメの解像度が上がったために、管理ソフトからちょっとクリックしただけでは写真の左上の一部しか見れなくて、良い写真だったかどうかわからない、というのがあります。
解像度が大きいカメラなので、あとでトリミングすればいいやと思って、フレイミングを良く考えずに撮るようにもなりました。上の写真は庭石に腰かけてますが、別の庭石の上にカメラをひょいと置いてセルフで撮りました。頭の先が入らずにオリジナルでは下は余裕たっぷりで芝生ばかりが写っていました。カメラを石の上に置いたとき、その角度でないとカメラが安定しなかったのです。余分なものまでたくさん写ってる写真がたくさんあります。

やっぱりトリミングをした上で、パソコンの画面サイズくらいに縮小しておくのが管理しやすいでしょうね。簡単にできるソフトがあるといいですね。

2、あまり良く撮れてないものまで大量に保存してあること。昔はどんどんプリントを捨ててましたよね。将来便利なソフトが手に入れば、簡単な修正だけで使えるようになるのではないかという思い込みもあります。デジタルデータなので置き場所はとらないし、捨てるのはもったいないと思うようになりました。
現在オリジナルだけで6000枚以上保存してあるようなので、何割かは思い切ってバッサリ廃棄したほうが良いでしょうね。パソコンから削除するのは簡単ですから。


人生の怖さ

あやめ動物は、死の直前になると脳内に大量のドーパミンがあふれ出してきて……、ドーパミンとはつまり快感ホルモンとかいわれるもののことですよね……、それで肉食動物に食べられるときも、恐怖は感じないんだそうです。食べられて死ぬことが多い動物もいますし、自然の仕組みはうまくできているのかもしれません。

でも人間はそうじゃないらしいです。知恵もつきましたし死ぬことはとても怖いです。だから他の人間が危険にさらされたときに、助けようとするのも人間なんでしょう。そして誰もが不幸にならないような社会を理想に掲げたときが、人類史の1ページ目だったはずです。そしてそのために最も信頼されて力のあった人間が「王」と呼ばれたわけなんでしょう。ちなみに王様がよく女装するのも、そういうような目的と関係あるらしいです。

でもどうしても死が避けられないときは、昔だったら生れ替わりを信じたんでしょうね。来世できっと結ばれましょうと、心中もしたんでしょう。
来世を信じられない人はどうなんでしょう。人生の最後を迎えるころには、なんとかなってるんでしょうね。けっきょく生れた人はみんな死んでいったわけですから。

ところで弱肉強食という言葉はおかしいですね。動物の世界ではそういうことではなくて、草食動物がいて肉食動物がいるだけの話です。他人を食い物にしているような一部の人間が、ごまかしのために考えた言葉なんじゃないでしょうか。


| top |