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子ども時代のセクシャル体験

〜への階段……というのは私にはないのですが、人の話を聞くといろんな話があるものですね。
よく聞くのは「見せっこ」。男の子どうしなら大した問題ではないのでしょうけど、そうでない場合は、見つかってこっぴどく叱られたなんて話も。
一人の子の着物を脱がしてしまうような遊びをした男の子たちもいたようですが、こういうのは感心しませんね。誰でも経験すること、なんて言う人もいるかもしれませんが、何かうしろめださがあるから、そういう言い訳を言うのかも?。
ゲイの人で多いのが、大人の男に内緒でからだを触られたりいじくられたりしたというの。
トランスさんでもいたかもしれませんが、ずっと忘れることのできない経験になるみたいです。
思い出したくないような経験をした人もいるかもしれませんが、へんな話題でごめんなさい。
いわゆる異性の服を身に着けることをセクシャルな体験だと考える人もいるようですが、私にはそういう意識はありませんでした。


髪長彦

岩山芥川龍之介の童話に、髪長彦という「女のような木樵」のお話があります。今は青空文庫でも読めるので、久しぶりに読んでみました。題名は『髪長彦』だと思っていたのですが、『犬と笛』というのが正しいようです。
> 『犬と笛』(青空文庫)
髪長彦が、笛と三匹の犬の力を借りてお姫さまを助け出すお話です。いちばん力を発揮したのは犬よりも笛ですから、音楽の力、芸術の力というわけなんでしょう。

なぜ「髪長彦」でなければならないのか、考えてしまいますが、ラストシーンで髪にお姫さまの櫛が挿さっていたことと関係あるのでしょうか。昔は男も髪を長くして普通は髷にしていたのですが、山伏など市民生活とは違う生活をしていた人の中に、髪を長く垂らしていた男がいて、そういう身分の男子だったのかもしれません。

八俣の大蛇(おろち)を退治したスサノオという神さまは、髪にお姫さまの櫛を挿していました。人によってはこれを女装の一種だという人もいます。
沖縄では、男は姉妹や特別な女性から身につけるものなどを貰って出かけるときの御守りにし、そういう女性のことを「おなり神」といったそうですが、似ていますよね。
第2次世界大戦で、兵隊に行く男は女の陰毛を御守り袋に入れておけば生きて帰れるなどといわれたそうです。
むかし男子の成人式のときに叔母から赤い腰巻で褌を作ってもらって身につけたという地方もあったそうで、オバクレフンドシというそうですが、これも女装の一種といえなくもありませんね。成人式とは、大人に生まれ変わるということなんでしょう。戦いに出て生きて帰るというのも、生まれ変わりの力に頼ってのことのようです。
戦国時代の武士の絵などでは、髷をほどいて髪を長く垂らしている武士の絵がよくありますが、これも女装の一種なのかも。

各地の祭礼などで若者が女装する例は多いですが、要するに生まれ変わるためということらしいです。生まれ変わるのだから、男か女かわからないような状態へ戻るのかもしれませんし、生まれ変わるのには別の母親が必要ですから、自分でそれを演じるのかもしれません。

髪長彦は世俗と離れた生活の木樵ですから、毎日毎日生まれ変わることができたのかも。お姫さまと結婚してハッピーエンドになってしまうと、生まれ変わることができなくなるかもしれませんね。結婚の意味を生涯同居という現代風に解釈すると、そうなります。でも平安時代より前は、男が幾晩か通っただけでも女の親が承認すればそれだけで「結婚」ということですから、また山の生活に戻っても良いと思います。


七五三といえば

スーツ自分の七五三のころからは、ずいぶんと年数がたったような気がしますが、七五三のときの思い出のお話です。
七歳のときにスーツを買ってもらいました。男の子のズボンのスーツですよ(念のため^^;)。そのズボンはとてもゆったりとしていて、キュロットみたいな感じ。なんとオーダーメイドだったみたいで、全体がふわふわしていて、男の子の服でうれしかったのはこのときだけだったかもしれません。
ズボンの片足に2本の足が入ってしまいそうな、ゆったりとしたズボンだったのですが、なぜそんなにゆったりとしてたのかというと、4、5年たって大きくなっても着られるようにです。子どもはすぐに大きくなってしまいますからね。
でも一年生と五年生では、ウエストの平均サイズの差は10センチもないらしいです。大人で1年か2年のうちに10センチもウエストが増えてしまったという人の話もあるようですが、一年生と五年生ではそんなに大きな差ではないみたいで、あのスーツも5年生までは着られたと思います。
たまにスカートのスーツを着ると、七五三のころを思い出してしまいます。

トランスさんの中には、OLや水商売系などの職業的な憧れと服装嗜好が結びついている人も多いようですけど、そういうのはあまりないです。


この一週間

緑の中タイトルをもとの「トランスジェンダーな日々」にもどしてみました。

 この一週間は、はるな愛さんとヤンキースの松井選手の話題がいちばんでした。
はるな愛さん「ニューハーフ世界一」、最近表情がはつらつとしている感じ。ここ1〜2年の自信のあらわれなんでしょう。ずっと多忙な毎日とは思いますが……。

 ある時期から急に多忙な生活になってしまったとき、私だったらあと1年か2年続ければもとのペースにもどれるだろうから、あと少しのがまん、などと考えてしまうのですが、それでは大成しないと思います。忙しさには慣れること、すると次のステップが見えてくるのかも。

 ワールドシリーズMVPの松井選手は肌がきれいになりましたね。


一般女性とは

岩トランスの世界では、生まれながらの女性を純女などと言うこともあるそうで、それはそれでがんちくのある言葉とは思いますが、それに替わる言葉を、1か月くらい前に思いついたのです。何日か前にそれを一生懸命思い出そうとしたのですが、出てきませんでした。
ところが昨日になって、ひょんなことから思い出しました。
それが「一般女性」という言葉です。
また忘れないうちに書いておくことにしました。
純女とか純女性では、言われたほうが、自分は本当に「純」なのかしらと、とまどうこともあるかもしれませんしね。
どちらにしろシャレっぽい言葉ではあります。

さて最近のアクセスの検索キーワードで多いのが「ヒップパッド 自作」ですが、そろそろやってみましょうか。だんだん寒い季節になりますし、失敗しても毛糸のパンツは残ります。ひざ上まである毛糸のパンツの裏側に、必要部分に毛糸生地を重層的に縫い重ねておくというものです。興味ある人は乞う御期待。


行ったり来たり

紅葉某総理大臣が金色のネクタイをするときは、特別な時とかで、何か精神的な高揚感をともなうみたいです。
男性(的な人)が特別な服装をするときは、だいたいそんな感じでして、その服装は非日常のものであり、デザイン等は何でもよくてたまたま選ばれたものであって、何より精神的な高揚感が重要だ、ということみたいです。これは男性のコスプレにもそのまま当てはまります。

そうでない人は、日常と非日常がいつも行ったり来たりしていますが、服装選びはだいたい日常的な問題です。特別な服装のときは、それによる内面的な価値というより、周囲との調和やアピール、自己の客観化、そのほかだったりです。その服装自体に必然的な価値があります。

そんなですから服装の一部に共通するものがあるかのように見えても、中味はだいぶ違うこともあるわけなんでしょうね。


手と指について

見た目の男女の区別を見分けるときに、手や指を見てという人が多いらしいです。
平均値では、身長差は10%以下なのに、結婚指輪のサイズの差は20%差というデータもあります。だいぶ細さが違いますね。そこで指を細くするにはどうしたらよいのか、そういう体操や指相撲?があるというような話は、あまり聞きません。けっきょく、いかに綺麗に見せるかという問題になってくると思います。

指は伸ばしたときに、弓なりに反ってるくらいが綺麗ですから、指を伸ばす体操というのは、良いかもしれません。やりかたは、両手の指をちからいっぱい伸ばして、戻すだけです。中指と薬指はぴったりつけたまま伸ばすといいかもしれませんね。そうすると普段でも中指と薬指はあまり開いた状態になりにくくなります。人差し指から小指まで4本の指の間に3つの隙間がありますが、人差し指だけ開いたときは、手の幅はほとんど変らず、小指だけ開いたときは、ほんの少し手の幅が広がる程度です。中指と薬指を開いたときは、かなり手の幅が大きく広がって見えると思います。この問題は重要ですよね。
手の写真ポーズとしては、いろいろあると思いますが、書ききれません。

若い男性モデルの手の写真を見てきましたが、
http://www.jazz-model.co.jp/parts/album/partsmodel_men.html
リング21から14までの人がいますが、この数字は薬指の指輪のサイズでしょうね(40を足すとミリメートルの数字になります)。モデルさんですから、みなさん細くて長い指をおもちですが、細いだけあって、指の関節部分が太いという男性的特徴もおもちです。男性的特徴といわれる薬指が人差し指より目立って長い人は、半分くらいでしょうか。
同じサイトの女性モデルさんは、指のサイズは、リング12から6の範囲でした。
ちなみに私の指のサイズはどちらのグループにも属さない13。

(見てきたサイトは「手のモデル」さんのサイトなので、そういう人たちは普通よりも細い指をしてると思います)


悲しき17歳

何歳?高校生のころ、世の中がどうなっているのか勉強しなくてはと思い、少ないお小使いの中から、新書判サイズの本を何冊か買ってみたのです。漢字が何文字も続くような難しい言葉がたくさん出てきて、何も理解できず、先へ読み進めることができませんでした。大人の世界とはこんなにも難しいものなのか、大きな挫折を感じてしまったのです。
友人たちの中には、聞いたこともないような言葉をを使いながら、難しい議論をしている男子たちが何人もいました。彼らは早熟なのかしらとも思いました。
私はいつになったらあの本の内容を理解できるのでしょう。世の中のことが何もわからない自分が社会に出て本当にやっていけるのかしら、不安でしかたなかったのが、あのころ、16〜7歳のころでした。

でも18歳になってから、文学関係の本が少し読めるようになり、だんだんと読書の幅も広がってゆきました。
今から思えば、あのときの本は自分に向いてない分野だったのかもしれませんが、でも今なら、ああいうのもすらすら読めます。辛口批評さえできます。
たしかに高校生が大人の本を読むことは早熟なのでしょう。けれど中には単に背伸びをしていただけの子もいたらしいです。むしろ真剣に挫折感を感じることができたことも、早熟の一種といえるかもしれないのです。

年月を経て、少しは社会のしくみもわかるようにはなりましたが、まだまだわからないことが多く、わからないままで世の中のほうがどんどん変わって行ってしまいます。もう挫折馴れしてしまって、挫折を挫折とも思わなくなるのかもしれませんが(笑)、でも小さな挫折を自分でやさしく包み込む方法を、考えてみたい今日このごろです。


日本語アクセントと作曲2

山彦英語の歌は、言葉の強弱アクセントにしたがって、2拍子のリズムなら1拍目に言葉の強アクセントがくるように作曲されている、ということを前回書きました。
「ロンドン橋」の歌の最後はこうなります(太字が強アクセント)。
 「/イ・/フェア・/レイディー」

「レディー」は2音節なので、最後の小節には音符が2つ並びます。昔の日本の歌ではこういうことはほとんどなくて、最後の小節は音符1つ、つまり最後の音節だけを長く伸ばす曲ばかりです。「さいたー、さいたー、チューリップのはながー」という感じです。
これは日本語の言葉の最後に強アクセントがあるためではなくて、和歌を朗唱するときに句切りのところで長く伸ばす習慣から来ているのでしょうね。リズムは無視することになります。

余談ですが、「君が代」の作曲は、本当は「千代に八千代に」で長く伸ばさないといけないはずですが、すぐに「さざれー」と続いてしかも「れー」までが一続きであるかのようで、ここで息継ぎする子が多く、日本の歌の王道を行っていません。急いで作られたせいでしょうか。この二句目の句切りを無視するようなやり方は、NHKアナウンサーの和歌の朗読などにも大変悪影響を及ぼしていると思います。

さて昔の歌の作りはこんな感じです。

「/・窓を/明けれ/ばー、/・みなと/が見え/るー」(別れのブルース 1945)

「/ばー」「/るー」と伸ばします。作曲者が冒険したくても作詞が「七七七五」の定型ですから、こうなります。
新しい歌ではよりリズムを重視していろいろ試みられます。

「/窓辺 /に置いた/椅子にも/たれ、/あなた/は夕陽/見てた」(荒井由実 翳りゆく部屋 1976)

「も/たれ」「/見てた」のところは日本語としても自然な感じですよね。

というようなことを考えるのは、なにか作曲してみたいからなのです。


わが半生記は

hatoko某動画サイトで、はるな愛さんの、子供時代からの思い出インタビューのようなものを見てきました。10分以内にまとめてあって、笑いと涙とペーソスの半生記といった感じ。ぽろっと落ちたひとしずくの涙がニクイですよね^^;
6年前には某区議会議員に当選した上川あやさんのサイトで、手記のようなものを読みました。こちらは笑いを主体としたものではありませんが、ストーリーはよく構成されていました。
それ以外はあまり見たり読んだりしたことはありません。はるな愛さんのものは別ですが、シリアスなものが多くて、こちらが情緒不安定になってしまうからです。SRS願望に苛ませられてしまうということです。
5〜6年前には、あと何年かすればそういう動揺もなくなるのではないかと思えたのですが、人はそんなに変われるものではありませんね。今も同じです。
そんなわけで、そういったテレビドラマや映画も見ません。でも見た人の感想を聞くのは、人によって感想が違うので面白いです。
わが半生記をまとめるとしたら、これまでに書いたような散文詩風のものを並べたアフォリズム形式なら、すぐできそうです。これは人を動揺させるものではありません。

インターネットを使うと、不確かな似たような情報ばかりが大量に集まっていって、人の気持ちを一つの方向にいたづらに増幅させてしまうことがままあります。とはいっても、情報を吟味してばかりいては前へ進めませんので、あとで気づいたときに少し引き返せるようにしておくことが肝心なのでしょうね。「一度始めたら戻れない」と感じたとしたら、その行為はインターネット情報に導かれた部分が多すぎるということだと思います。


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